1977年春、狭山差別裁判が最高裁に上告されていて、棄却を阻止しなければならないという支援者の全国集会が、東京でありました。前の年あたりから、友人から部落差別のことを教わり、集会に出るようになっていたのですが、全国集会は初めてでした。その時のことです。
明治公園だったのでしょうか、何万人もの参加者で立錐の余地もなく、しかたがなく舞台の上、発言者の背後のスペースに座りました。背後のスペースの反対側をふと見ると、見たことのある人が座っていました。何やら旗をもっています。
その人からチラシをもらい、精神障害者ゆえに差別裁判を闘っている人がいることを知りました。赤堀政夫さんです。そのチラシが、私が障害者との社会活動にかかわっていくきっかけ、扉を開ける鍵となったのです。
それから43年。精神障害者の運動も変わりました。
時代とともに変わっていっていいでしょう。でも、それは人々の心からの解放、弱い人々への情愛、友情と団結に満ちたものでなければならないと思います。
京都の前進友の会の江端さんのHPを紹介します。彼は患者会運動をずっと続けています。2018年11月7日の記事にも書きましたが、私は折々に彼と接近していました。2018年からはほんとうに心から打ち解けて、交流しています。いまになって、つくづく彼の思いの広さ、長年積み重ねてきた考えに驚嘆しています。以下、紹介します。
えばっちのタンブラー
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えばっちのはてなブログ
https://ebacciblog.hatenablog.com/
えばっちのホームページ 乾坤一擲
http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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追記
2018年6月3日、2018年12月26日、2019年8月10日の三つの記事を削除しました。
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追記2
狭山差別裁判を糾弾する解放歌というのが、私の70年代から80年代のマイ・テーマソングでした。
歌詞にある「解放」は個人の解放ではなくて、仲間の、多くの人々の「解放」だったのです。いまもそうであるべきでしょう。
母は闘わん
赤々と 燃える中で/あげたこぶしに 誓い合い
差別迫害 なくすため/母は解放のため 闘わん
あ
結んだ ハチマキで/吹雪の中で 叫ぶのも
二度と許さぬ 差別のため/母は解放のため 闘わん
あ
どんな 差別にも/闘う子どもを つくるため
兄弟姉妹と 手をつなぎ/母は解放のため 闘わん